「心の中で泣いています」今も240万人が避難生活:トルコ地震から半年

今年2月6日のトルコ地震の発生から半年が経ちます。隣国シリアと合わせて5万7,000人以上が死亡した震災では、トルコ国内だけで今なお約240万人が居住用コンテナやテントで過酷な避難生活を続けています。AAR Japan[難民を助ける会]は発生直後に緊急支援を開始し、これまでに同国南東部の被災地で延べ6万2,400人に食料・衛生用品などを届けてきました。震災を乗り越えようと懸命に生きる人々の声を現地からAARトルコ事務所の景平義文がお伝えします。

 

公園の水道を使ってテント暮らし

震災後、新たな住居を確保できない人々の居住環境は、トルコ政府が開設・運営する公式の避難所(公式サイト)、あるいは被災者が自ら空き地や公園にテントあるいはコンテナを設置して生活する非公式キャンプ(非公式サイト)の大きく2つに分けられます。設備がある程度整った公式サイトと違って、非公式サイトには十分な支援がありません。

 

カフラマンマラシュ県都の市街地には、至るところに非公式サイトが散在し、主婦のアイシェ・ケクチュさん(50歳)は夫と息子と3人で、大きな公園に設けたテントで生活しています。「あれだけの大地震だったのに、私たちが住む借家は無事でした。ところが、月550トルコリラ(約3,000円)だった家賃は震災後、住宅不足で相場が15倍以上に跳ね上がったのです。とても払うことができず、大家から立ち退きを求められて、私たちは家を出ざるを得ませんでした」。

非公式サイトのテントで暮らすアイシェ・ケクチュさん=トルコ南東部カフラマンマラシュ県

 

アイシェさん一家は4カ月ほど市内の別の場所でテント生活を送った後、水道と電気があるという理由で今の非公式サイトに移ってきました。ただし、水というのは公園の水道で、電気は電線から勝手にテントに引き込むいわゆる「盗電」です(トルコの地方都市では震災前から一般的)。

 

「夫は廃品回収の仕事をしていましたが、震災後は仕事がなくなってしまいました。息子に障がいがあるので、その生活補助が支給されていますが、毎月の収入は2,800トルコリラ(約1万5,000円)ほど。私は糖尿病なのに薬を買うこともできません」。アイシェさんは苦しい実情を打ち明けます。

 

6カ月にも及ぶ不自由な避難生活にアイシェさんは疲れ切っています。「テントでの生活は不便だし、カギもないので安心できません。ベッドは息子用の小さなものがあるだけです。洗濯は公園の水道で手洗いしています。石けんなどの衛生用品はいくらあっても足りません」。

 

狭いテント内に置かれた小さなベッド

 

「本当は公式サイトに移りたい」とアイシェさん。しかし、公式サイトに入るには、自宅が全壊ないし半壊という認定を受ける必要があり、アイシェさんたちの場合どちらにも当てはまらないため資格がありません。同じような境遇に置かれた被災者は少なくないと言います。

 

しかも、トルコ政府は市街地の非公式サイトを順次閉鎖していく方針を表明しています。それはつまり、アイシェさんたちのように公式サイトに入る資格がなく、経済的に新しい家を借りることもできない人々にとっては、行き場がなくなることを意味します。

 

「ここから出て行けと言われても、新しい住まいがない限りどこにも行けません。私たちには将来の展望が何もありません。地震が起きて、私たちは死んだも同然です。いつも心の中で泣いています」。アイシェさんは絞り出すような声で話しました。

 

避難生活の苦労を語るアイシェさん

 

それでも、アイシェさんは最後に感謝の言葉を伝えてくれました。「私たちの話を聞いてくれる人は誰もいません。話を聞いてくれるだけでもいいのです。私たちが大変な避難生活を送っていることを人々に知ってもらいたい。遠い日本から来て、支援してくれるだけではなく、こうして話を聞いてくれて本当にありがとう」。

 

冬が来るまでに引っ越したい

アディヤマン県アクプナール村は、地震でほぼすべての家屋が倒壊する壊滅的な被害を受けました。村人のほとんどが家を失い、居住用コンテナで避難生活を送っています。村から離れた場所に設置された公式サイトに移ると、生計手段である農業を続けられなくなるため、人々はやむなく村の中の非公式サイトで暮らしています。

 

被災者に提供された居住用コンテナ

 

「コンテナは5人で生活するにはとても狭いのです。夏場はすごく暑くなりますが、もちろんクーラーなどありません」。ヤシン・トゥルクメン(40歳)さん、ルキエさん(33歳)夫婦は3人の子どもと5人家族。震災後しばらく倒壊した家の前にテントを張って生活していましたが、3カ月ほど経った頃にトルコ政府からコンテナの提供を受けて、現在は村の非公式サイトにいます。

 

コンテナの前に置かれたテーブルで、ヤシンさんは「地震で家具も日用品もすべて失いました。その後少しずつ揃えていますが、子どもたちの服も十分ではありませんし、調理器具や食器も必要です。洗濯や掃除のための生活用品も足りていません」と話します。

 

小作農として日々の収入を得ていましたが、震災後は仕事が激減し、一家は収入源を失いました。「支援がなければ生活は成り立ちません」と妻ルキエさんは言います。「それに、ずっと学校が閉鎖されているので、子どもたちが教育を受けていないことも心配です」。

 

ヤシンさん(右)にインタビューするAAR職員の景平義文

 

トルコ政府の復興計画では、アクプナール村は元の場所ではなく、数キロ離れた別の土地に再建される予定です。村人たちは生まれ育った土地を離れ、新たな場所に移ることになります。「今の場所に残りたいのですが、それが無理なのは分かっているので、新しい村に移る以外の選択肢はありません。それならせめて、冬が来るまでに移りたいと思っています。このコンテナで寒い冬を越すなんて想像できませんから」とヤシンさん。

 

そして、夫婦はこう言い添えました。「今、何とか生活できているのは、皆さんの支援のおかげです。日本の人々が私たちのことを忘れずにいてくれて、本当にありがたく思います。心から感謝します」。

 

自立に向けた中長期的支援を

地震発生から半年を経た現在、公式サイトに80万人、非公式サイトには倍の160万人が生活していると言われます。公式サイトは整備された敷地にコンテナが規則正しく並び、電気や上下水道が通っているほか、食料・衛生用品などの支援も届いています。

 

これに対し、自然発生的に設けられた非公式サイトでは、コンテナやテントの多くは政府や支援団体が提供しているものの、住環境整備や物資配付などの支援は不十分です。トルコ政府は公式サイトの拡充と支援に注力しており、両者の間に格差が広がっています。

 

この半年の間に倒壊した建物のがれきは撤去され、公式サイトが急ピッチで造られてきました。復興が着実に進んでいるかのように見えますが、とりわけ非公式サイトで暮らす人々にとって、過酷な避難生活を強いられている状況は震災直後からあまり変わっていません。被災者の数と必要とされる支援はあまりに膨大で、トルコ政府や支援団体が対応できる規模をはるかに超えています。支援はまったく足りていません。

 

非公式サイトでの物資配付に集まる人々

 

そして、被災地が本当の意味で復興するには、建物が再建されるだけではなく、被災者が生計の手段を得て、自立して生活できるようにしていく必要があります。新しい街が造られるまでには数年もかからないかもしれませんが、ヤシンさんやアイシェさんたちが震災前のような自立した生活を取り戻すには、それ以上に長い年月が必要です。

 

AARはより困難な状況に置かれた非公式サイトで暮らす人々を中心に支援活動に取り組んでいるほか、物資配付に留まらず、被災者の自立をサポートする中長期的な支援を模索しています。引き続き、AARのトルコ地震被災者支援へのご理解・ご協力をお願い申し上げます。

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