外国人被災者への支援を継続:能登半島地震

能登半島地震では石川県内で暮らす多くの在留外国人も被災しました。言語の問題から避難情報や行政の支援情報へのアクセスが難しいことも多く、外国人被災者は不安を抱えながら避難生活を送っています。AAR Japan[難民を助ける会]は、支援から取り残されがちな外国人居住者への支援を継続して行っています。

 

食べなれたタイ米を受け取るラオス人とベトナム人の実習生=富山県氷見市で2024年3月

 

「地面が大きく揺れて本当に怖かった。慌てて机の下に隠れましたが、ガラスが割れて足にけがを負いました」。石川県珠洲市の縫製工場で働いていたラオス出身のラムニさんは、能登半島地震が生まれて初めて経験した地震でした。スマートフォンの緊急アラートが鳴り止まず、パニックになりながら寮の仲間と一緒に近くの避難所に移動したと言います。「お菓子を配ってもらうなど、避難所では日本の皆さんに親切にしてもらい、嬉しくて涙が出ました」とラムニさんは話します。ラムニさんたちは珠洲市の避難所にしばらく避難していましたが、これまで勤めていた工場が地震の影響で稼働できなくなり、富山県氷見市の工場に移籍せざるを得ませんでした。

 

石川県内在住の外国人向けに海外人材支援サービスを提供するNPO法人YOU-I(石川県野々市市)は、震災以降、被災した外国人居住者への物資提供や通訳支援を行っています。AARは震災直後からYOU-Iと連携して、外国人技能実習生に食料や衛生用品、灯油の提供などの支援を行ってきました。

 

在東京タイ王国大使館(東京都品川区)から提供されたタイ米と水の配付を手伝ってほしいと、YOU-Iから依頼を受け、AARはラムニさんのように工場で働くタイ人やラオス人、ベトナム人の技能実習生に届けました。タイ米を受け取った皆さんは、「いつも食べていたので、本当にうれしい」と笑顔を見せ、「私たちのことを気にかけ、支援してくれてありがとう」と、何度も頭を下げてくれました。

 

アナンさんの自宅にタイ米を届けるAAR職員=石川県珠洲市内で2024年3月

 

自宅での避難生活を続ける外国人居住者も、不自由な生活を強いられています。タイ出身のアナン・アマさんは、震災直後に日本国籍の奥さんと近所の小学校へ避難しましたが、集団生活のストレスから2週間ほどで在宅避難に切り替えました。他人と一緒に裸でお風呂に入るという日本の文化に慣れず、最初は自衛隊風呂に戸惑ったと言います。AARはアナンさんの自宅を訪問してタイ米を手渡し、アナンさんは「まさか自宅まで来てもらえると思わなかったので、とてもありがたい」と話しました。

 

母国を離れて日本の被災地で暮らす外国人居住者は、日本人以上に不安やストレスを感じながら避難生活を送っています。AARは、少しでも不安を解消できるよう、困難な状況に置かれている人々へのサポートを続けてまいります。AARの能登半島地震緊急支援へのご協力を重ねてお願い申し上げます。