「家族を殺され何もかも失った」~紛争被害者のストーリー~

2020年11月、エチオピア政府とティグライ州の反政府勢力との間に武力衝突が発生しました。その後、反政府勢力は近隣州へ進軍し、一時は首都アディスアベバから380kmの距離に迫ったため、政府より緊急事態宣言が発出されました。2022年3月に人道目的の停戦が宣言されるも、停戦状態は長く続かず、2022年8月末にはティグライ州南部にて紛争が再開されました。和平交渉に合意したというニュースもありましたが、現在まで具体的な交渉開始の目処は立っていません。

このティグライ州から始まった紛争以外にも、各地で武装勢力の活動が活発化しています。特定の民族をターゲットとした攻撃などにより、多くの民間人が犠牲となっています。

避難所で暮らす人々

グッドネーバーズ・ジャパンは2021年4月から、継続的に国内避難民への食糧支援を行っています。今回の記事では、2022年4月から9月まで食糧支援を行ったアムハラ州南ウォロ県の避難所で暮らしている、紛争の被害にあった方々の声を紹介します。

家族や親族、あらゆる資産を失った

40代男性 アベバイヨさん(仮名)

私は東部ウォレガ地域に生まれ、農家として一生懸命働いていました。他に何をするでもなく、ほとんどの時間を農家として働いて過ごしていました。他の普通の人々と同じように、きちんと税金を払って、ちゃんとした暮らしを送っていました。

ある日、行政が突然、この地域からアムハラ族をすべて排除する、と宣言しました。それからすべての武器を奪われ、自衛をすることもできず、私の家族や親族のうち11人は亡くなり、3つの家、30ヘクタールあった農地、家畜やすべての作物、なにもかもすべて焼き払われました。

避難所での生活は紛争の前の自分たちの生活とは全く異なるもので、非常に過酷です。

 

父親を殺され、大学で学ぶ機会を奪われた

20代女性 アラムツァハーイさん(仮名)

私の父は家族を養うのに十分な稼ぎがあって、私たち家族はみな幸せでした。父は農家として働きながら、商人として、また現地の自衛団として地域の平和を守るために行政とともに働いていました。

紛争が始まり、父は自衛の活動をしていたことから、武装勢力に追われ、殺されました。私は、故郷から離れたところで大学に通っていましたが、父が亡くなり、家族がこの土地に逃げてきたことを聞き、大学を辞めなくてはならなくなりました。そして、逃げてきた残りの家族と再会するために、この避難所に来ました。

大切な父親を失ったトラウマにより、精神的にも強いストレスを感じており、日々の生活もままなりません。

 

 

これらの人々は自分たちの命を守るために避難所に来ました。紛争の脅威からは逃れられたものの、避難所では仕事をしてお金を稼ぐことも難しく、援助団体から届くわずかな支援に頼らざるを得ない厳しい暮らしを強いられています。 

 

グッドネーバーズ・ジャパンは避難所に暮らす2,901人の避難民に対し、小麦粉、豆、食用油や塩などの食糧を配付し、さらに630人の妊婦・授乳中の女性と5歳以下の子どもに対し、栄養補助食品を配付しました。 

配付した栄養補助食品を食べる家族

 

この避難所での食糧援助は非常に限られており、グッドネーバーズ・ジャパン以外に食糧支援を行っている団体はいませんでした。今回インタビューに答えてくれたアベバイヨさんやアラムツァハーイさんは、「グッドネーバーズ・ジャパンの食糧支援を受け、自分たちが生きていくために最低限の食糧を得ることができて感謝している。今後もぜひ支援を続けてもらいたい。」と述べています。 

 

エチオピア国内には、いまだ十分な支配を受けられていない避難民の方が多くいます。グッドネーバーズ・ジャパンでは、9月16日から新たなエチオピア支援事業を開始し、引き続き内戦により被害を受けた避難民への支援を継続してまいります。

 

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