ミャンマー地震:ミャンマーが忘れらてしまうことを恐れる生存者のストーリー

▲2025年3月28日、マグニチュード7.7の地震に見舞われたマンダレーの街には、壊滅的な被害と瓦礫が散乱しています © CARE Myanmar

 

地震が発生したとき、マイ*は幼い姪2人と家にいました。地面が揺れ、周囲で家具が壊れるなか、彼女は娘たちを引き寄せ、テーブルの下に避難させました。混乱し、パニックに陥った彼女は、子どもたちを守ることだけを考えました。「マンダレイヒルが私たちに向かってくるように感じました」と彼女は語りました。「私たちは死ぬんじゃないかと思いました」

揺れが収まると、マンダレーのCAREパートナーで長年ボランティアをしているマイは、隣の倒壊した家から悲鳴を聞きました。

「私たちはもう地震のことなど気にしていませんでした」と彼女は私たちに教えてくれました。「私たちはただ助けに走りました」

すでに足を骨折していたにもかかわらず、マイとその姪たちは、他の近隣住民とともに瓦礫を掘り起こし始めました。埃にまみれ、長い髪が血でぐちゃぐちゃになっている女性を発見しました。その女性は自分の傷を無視して、救助隊にまだ瓦礫の下敷きになっている父親を助けてほしいと懇願しました。

「危なかった」とマイは語りました。「彼女の父は出血していて、頭にひどい怪我をしていました。私たちが救い出したとき、かろうじて意識がありました」

マイと姪たちは家に戻る途中、最悪の事態は終わったと信じていました。しかし、突然、地元の教会が倒壊しました。飛んできた瓦礫がマイの腕を強く打ち、いまだ癒えないあざが残りました。その直後、近くの丘が傾き、駐車していた2台の車が斜面を転がり落ち、マイと姪たちに向かってまっすぐ迫ってきました。足を骨折しているマイは、逃げようとするもゆっくりとした足取りでした。間一髪のところで姪たちが彼女を引っ張り出して難を逃れました。

「彼女らがいなかったら、私は死んでいたかもしれない。こんな経験は初めてです」と彼女は語りました。

▲マイは、建物や寺院が崩壊したアマラプラ・タウンシップに住んでいます。写真は、廃墟と化した寺院が不安定に傾いている様子

マイは可能な限りすぐに、被災した自宅を離れ、コミュニティへの残りの影響を調査しました。彼女の地元の深い知識は、CAREとCAREのパートナーが緊急時の計画と対応を作成するのに役立ちました。

それでもなお、彼女のコミュニティは恐怖と不安に支配されています。

「人々は怖くて家の中に入れないので、野原やサッカー場で暮らしています。建物は傾いています。建物に戻ることは不可能です」と彼女は教えてくれました。

今、最も緊急に必要なのは安全な水です。

「水がとても汚れているので、子どもたちは下痢をしています」とマイはいいます。「私たちの井戸は動かなくなってしまい、誰も家で水を飲むことができません。近くの1軒が水を汲み上げる発電機を持っていて、村中で水を共有しています」

▲仮設住宅が設けられた空き地には衣類が吊るされています。

今、最も恐れていることを聞くと、マイは「ミャンマーが忘れられてしまうこと」と答えました。

地震が起きる前から、ミャンマーでは2,000万人近くの人々が人道支援を必要としていました。この直近の大震災は、危機をさらに激化させました。CAREと現地のパートナーは、マンダレーとサガインで、食料、水、救急キット、緊急シェルターを届けています。しかし、マイのような生存者は、その壊滅的な規模から、国際社会からの緊急支援が必要だといいます。

「できることがあれば助けてください」とマイは訴えます。

「私たちのことを忘れないでください。どんな支援にも感謝します」

*個人情報保護のため名前を変更しています