公開
今日は桜の開花日が近いと言いながら、本当に寒い1日でした。この館長日記もなんと20回を数えることとなったんですねぇ。 はじめに前回(No.19)の続きをちょっとだけ。語るべきことが3つあると述べていたが、1だけ述べて、2・3を打切ってしまいました。今後の予定としては、2については、第5章の中で資料として具体的に入れます。3については、現在ウェブ版の構成について業者さんと打ち合わせ中なので、それが形を成した時点で改めてご報告します。以上、述べておきます。 今日はエコミューズの定例会議が開かれ、わたくしが最近に至って、まず基本的には掲載すべき資料のほとんどを選び終えたこと、そのうち...
作成日時:2025/03/21 11:01
更新日時:2025/03/21 11:01
公開
今日は、3つの話をしておきたい。1つは、もくじを整理したこと。2番目は、今後の課題として3・18集会についての関連資料が見つかったこと。3つ目は、ウェブ版の見本を点検させてもらったことである。 まず1から。もくじ案が資料調査のガイドラインとして今まで大いに役立ってきた。章ごとの趣旨、章の中の分類など、調査の進展とともにしばしば移動することがあった。その移動の発生が、資料調査が進み、資料の語るものがより具体的な性格を見せるようになったときに、“この資料群はここではなくて、別の個所に配置した方が適切である”という認識の形成である。実例を一つ。例えば西淀川公害追放委員会の扱い。これは明確な位...
作成日時:2025/03/21 10:52
更新日時:2025/03/21 10:52
公開
長い寒波がようやくおさまり始めるが、作業する部屋はやっぱり寒波が襲来のままだ。ストーブを付け、エアコンを付け、夕方になってやっと暖かくなってきた。 第5章の編集を考えなおした。裁判の開始を迎えた大勢の原告たちに焦点をあてて、その動きがわかる資料を中心に置くことにした。幸い今までに調査していた資料がすべて利用できる。ただ、「証拠保全事件」に関する資料については大いに悩まされた。原因は原資料の所在を確認するのに手間取ったからである。原資料を見れば事情はすぐにわかった。原告側のうち3人の症状の重いことを強調し、生きているうちに尋問を終わらせたいというので、裁判所に強く語りかけたもの。被告側か...
作成日時:2025/03/21 10:25
更新日時:2025/03/21 10:25
公開
今日は朝から賑やかに意見を交わした日であった。午前中はエコミューズの定例会議、引き続いて資料の勉強会があった。 定例会議では、今作っている資料集の出版費に対する寄付について様々な意見が出た。印刷部数・値段等、それから寄付の意味といったところである。改めて、方向性を決めようということになった。近々お願いの文章が出てくることになると思いますが、その時はよろしくお願いします。 続いて、資料の勉強会が行われた。いつも元気なミナコさんが「関連共同性」に関して、資料からわかることを、資料を4点あげて論じてくれた。①は1975年6月発行の大阪弁護士会公害対策委員会編の「大気汚染-大阪西淀川に...
作成日時:2025/03/21 10:23
更新日時:2025/03/21 10:23
公開
先週はずっと寒かった。大阪でも雪が降ったのかな…? 大阪市内でも雪が降ったと聞く。 第4章(都市型公害の深刻さを知り、裁判の意義と課題・可能性を知る)に取り掛かって、翻刻作業の成果をもとに本の形に原稿を整える作業に着手した。いつものように1から始めた。(当ったり前だろうが) 作業は順調にスラスラと、もっと言うならひょいひょいと進むと思った。だが思ったこととできたこととは違った。 1番最初に載せる資料、「峯田弁護士が1974年1月の西淀川の汚染実態調査に参加して被害の厳しさと取り組むべきことを主張する」は、文章だけだったのでほとんど手間がかからず、本の形が出来上が...
作成日時:2025/03/21 10:21
更新日時:2025/03/21 10:21
公開
今日は、大阪公立大学4回生の稲田くんがアルバイトで来てくれた。若々しく、活力に満ちている感じで、なかなかに快活な青年である。第4章の5節「意見陳述書」の翻刻を行なってもらった。この資料は原告が被害を訴えているが、実に率直で迫力に満ちている箇所である。きっと稲田くんにとって思うところがあったに違いない。 本日は第4章1~5節に配列した資料を年月日順に並べなおし、それぞれの資料の位置をわかりやすくした。最後に翻刻がどこまで進んでいるか確認したところ、あともう少しというところまで来ていることを確認できた。いよいよ次は第5章「裁判の展開」に入る。ここについても翻刻すべき資料の候補はほぼ選び終わ...
作成日時:2025/03/21 09:58
更新日時:2025/03/21 09:58
公開
本日午前10時より、第19回資料編集委員会があった。参加者はいつものメンバー。 鎗山さんの司会で、これまでの全般的な活動報告が終わったところで、資料の編集作業の概要を説明した。はじめに、7章仕立てから6章仕立てに章の数を減らすこととした理由について、従来の4・5章を合体させたためと説明した。従来の第4・5章が時期的に重なり合うところが多く、内容的にも深くかかわっていることに気づいたので、これらを合わせて第4章とすることとした。結果として全6章となったという次第である。従来の第4・5章が時期的に重なり合うというのは、裁判提訴(1978年4月)の時期と、NO²の環境基準緩...
作成日時:2025/03/21 09:48
更新日時:2025/03/21 09:48
公開
2025年正月を迎えました。明けましておめでとうございます。 正月に入るころから、寒い日が続いています。 久しぶりにあおぞら財団を訪問しました。 読売新聞の富山版記者さんから、あおぞら財団のエコミューズが今進めている資料集編集を記事にした新聞記事を送ってくれました。 その記事のコピーを頂き、読ませていただきました。 有難い記事です。 富山のイタイイタイ病資料館が持っている資料をどう整理するか、また患者さんたちの作った清流会館に保管された資料をどうするか、新潟水俣病資料館の奮闘をまとめられた記事等、3回にわたって紹介されました。あおぞら財団の活動は、3回目に大きく取り扱われてい...
作成日時:2025/03/21 09:44
更新日時:2025/03/21 09:44
公開
いよいよ今日から第5章! 裁判闘争の始まり。裁判だから記録は簡単だとはいえない。 まず裁判を闘う意義とその課題が明確になっていく過程が示されなければならない。西淀川公害裁判は1978年4月に提訴され、1991年3月29日第1次訴訟について1次判決が下され、この間だけで丸々13年の年月が流れた。さらに1995年3月全面解決に向けた勝利的和解勧告の受諾をしたため、17年の年月が経過している。長い年月である。 この間、原告側当事者の中には亡くなる方があったが、その基本精神はずっと現在まで引き継がれることとなっている。 この裁判の始まりとそれを維持するために費やされた関係者の意志を...
作成日時:2025/01/17 10:10
更新日時:2025/01/17 10:10
公開
何から喋ろうか…。 今日は一気に第3章「公害源との闘い」の翻刻作業を完了させることが出来た。 具体的には、「1.中島水道・大野川、緑地化の実現をめざす」「2.公害被害者救済法制定の下、企業による公害に立ち向かう」「3.西淀川公害患者と家族の会の結成」「4.1975年前後の運動」である。 勘定したページ数を見ると約60ページとなっている。 第1章(工業化する西淀川区)が53ページ、第2章(公害に苦しむ学校と公害教育の展開)が30ページであったので、全部で約140ページだと計算できる。 本文が250ページを目標とすると、あと110ページ…。ああぁぁ…。 ここまで全7章仕立てで組み...
作成日時:2025/01/17 10:07
更新日時:2025/01/17 10:07
公開
エコミューズ企画展「写真でふりかえる 工業地域化する西淀川区―戦前・戦後から高度経済成長期まで―」みてアート2024に参加(11/2-3)
11/2-3に開催された「西淀川芸術祭・みてアート2024」に、あおぞら財団付属 西淀川・公害と環境資料館(エコミューズ)として参加しました。 「みてアート」は、アートをきっかけに地域で交流しようと始まったイベントで、あおぞら財団で事務局をつとめてきました。親子連れや子どもの参加も多いため、クイズを掲示するなど、楽しんでもらえる工夫もして、2日間で190人の来場がありました。1日目はあいにくの土砂降りの雨でしたが、そんな中でも見に来ていただきました。 エコミューズでは「写真でふりかえる 工業地域化する西淀川区―戦前・戦後から高度経済成長期まで―」と題して、1929年~19...
作成日時:2024/12/12 13:57
更新日時:2024/12/12 13:57
公開
みなさんお久しぶりです。 今回はミナコさんに、編集作業をしていて気が付いたことを書いてもらいました。編集作業の意義がこんなに率直に語られることが大変うれしく思っております。 ——————————— 最近定例会議や作業中の小田先生のお話を聞いていて感じたことは、研究することの大切さです。資料館は資料を持っているというのは前提事項ですが、ただ持っているだけではあまり意味がなく、それらを整理し、内容を確認し、そこからどういったことがわかるのかということを考えることが大事であり、必要だと思いました。 私は大学で学芸員資格取得のための授業を受けています。その際に博物館が「研究」する機...
作成日時:2024/12/12 13:54
更新日時:2024/12/12 13:54
公開
10月7日月曜日。 2、3日前から家で取り組んでいた第1章「公害地域化する西淀川区」の内、「1.写真でふりかえる」を上下2段をやめて、1段で組み替えたものを職員の皆さんに見せて意見を聞いた。ちょっと注釈を入れると、最初のページにこの項編纂の考え方を1ページ内で書きおさめ、1934年及び、1950年発行の地形図を左右に並べ、御幣島・佃・野里・姫島地区の工場地帯化が一目瞭然となる地図を掲載した。他は一緒だが写真が大きくなり、見やすくなった。それから、もう1点、戦後初期区画整理後の上空写真を追加した。これをもって、西淀川工業地域の第2の特徴である、中堅工場の急速な立地状況及び、それを取り巻く住宅な...
作成日時:2024/10/09 13:45
更新日時:2024/10/09 13:45
公開
今日は9月の最後にあたる、30日。 明日からは10月というのに、本当に暑い日が続く。 皆さんお元気のことと思います。 9月24日には立憲民主党党首に野田さん、29日には自由民主党総裁に石破さんがそれぞれ激戦を制して選ばれました。 日本はしばらく総選挙モードに突入したようです。 西淀川公害資料集編纂事業が順調に進んでいくことを願っています。 今日の編集委員会は、先月26日から都合で開催できなかったため、一か月遅れに開いたものです。 編集委員は大阪公立大学文学部長・文学研究科長の佐賀朝教授、岡山大学文学部准教授の松岡弘之准教授のお2人です。 小生が、前回6月17日以来の作業進...
作成日時:2024/10/09 13:29
更新日時:2024/10/09 13:29
公開
一昨日の晩は中秋の名月を見た。ただ、9月の月は少し小さく見えるように思った。 10月の方が大きく見えるのは気のせいだろうか。 今日は9月19日。立秋の少し手前、中秋の名月は15日、お彼岸は21日で、間もなくだ。なんだか変だなと一瞬思ったが、これは旧暦と新暦が混同していたことからきた勘違いだとすぐに気づいた。どうも最近は思考に混乱が生じるようで、気を付けないと、と自戒する。 ところで、あおぞら財団に朝着いたら、可愛らしい中学生が4人机について、パソコンを開いて、熱心に何事かをやっているのをみた。財団職員の谷内さんがすぐに「区内の西淀中学校の2年生の皆さんです。職業体験に来ていま...
作成日時:2024/09/27 14:52
更新日時:2024/09/27 14:53
公開
前回の日記から2週間近くがたった。この間、台風10号の暴走ぶりがあっていくつかの予定も消えてしまった。 それを利用して、第3章に採用する資料の選択・配置見直しを行った。 厄介な存在だと気づいたのは、西淀川公害追放委員会(すごい名前だ)の活動である。 これは、緑地化推進委員会の活動から生み出されたものか、西淀川から公害をなくす市民の会の流れからでてきたものか、どちらの運動にもこの会への期待が表明されている。 最大の課題は外島地区に公害企業を誘致する事実が分かったときに、両者ともにこの対応を西淀川公害追放委員会に訴えている。 ところが、その後の資料がないのである。どこへいったのか。ただ、...
作成日時:2024/09/27 14:50
更新日時:2024/09/27 14:50
公開
台風10号が大きく西へ逸れた。大阪襲来は29日以降まで延びたようだ。 今日はお客さんが2組も来られた。 午前中からは旧知の小林啓(あきら)氏。10月以降大阪産業大学で環境政策論を担当されるとのことで、西淀川公害は重要と述べられる。資料集の第1章、第2章に掲載予定の資料原本を見ていただきつつ、歴史に遡った資料原本の調査が大事なことを交々話す。(「交々(こもごも)」という言葉をミナコさんは初めて聞いたとのこと。あぁ、あまり使わない言葉になっているんだなあと感じて、自分が歳をとったことを感じた。ただしパソコンではすぐ「交々」と出た。どんなもんだ!) 小林氏とは話が弾んで...
作成日時:2024/09/09 16:07
更新日時:2024/09/09 16:08
公開
今日は午後からエコミューズ定例会議、資料勉強会と続いた。 資料勉強会は、アルバイトのミナコさんが、1969年5月以降喜多幡龍次郎さんが中心となって始められた中島大水道・大野川緑陰道路の緑道化に関する資料の紹介を行った。 ということで、21世紀生まれのミナコさんは朝から関係資料の文字の読み方や意味の理解に大わらわだった。 「この文字なんと読むんですかー?」「だいぶ時間をかけてみたのですがわかりません」という悲鳴。 ついつい親切心が湧きおこり、その上知ったかぶりもしたくなって、読み方を教えた。その上、戦後の国語教育の実態など、戦後生まれの人が古文書が読めなくなることについ...
作成日時:2024/09/09 16:05
更新日時:2024/09/09 16:05
公開
西淀川公害資料集も今日から第3章に入る。 第3章のテーマは、「地域における生活環境を守る戦い」。 1967年ごろから1972年ごろまで学校の公害が問題となり、新聞で取り上げられ、生徒が作文を書き、先生方が研究活動を展開した。 このような公害に対する急速な関心の高まりは、住民たちにも強い影響を与えたようにも思う。 第3章はこのなかで、1つは社会党系の活動家であった喜多幡龍次郎さんが中心になって展開した「大野川緑地化推進委員会」の活動であり、もう1つは永大石油鉱業の公害問題から「西淀川から公害をなくす市民の会・西淀川公害患者と家族の会(患者会)」の結成に至る動きである。 ...
作成日時:2024/09/09 16:02
更新日時:2024/09/09 16:02
公開
今日は8月8日。2日前は広島の平和祈念式典、明日は長崎の平和祈念式典。 それぞれ79年の年月を経て、今もって核の脅威から安心がもたらされていない。 公害問題も長い被害の歴史を持っていることを思う。 今日は思いもよらぬ白神加奈子さんの訪問を受けた。 うれしくなって資料集作成の経緯から現状まで話をし、作業が終わっている部分について資料本文を見てもらった。 公害資料館ネットワークの資料部会の在り方に問題提起できたらと考えている、とも説明した。 白神さんが出来上がった資料の本文をご覧になって、よくわかるとおっしゃってくれたので、うれしくなって大きく構えてみたのである。 ...
作成日時:2024/09/09 15:58
更新日時:2024/09/09 15:59