不登校の子どもと聞いて、みなさんはどのような姿を思い浮かべますか?
アスイクで働くまでの私は、不登校の子どもは元気がないとか、いじめられたことがあるとか、そんな勝手なイメージを持っていました。
しかし、いざ子どもたちと関わってみると、有り余るくらい元気な子どももいるし、いじめられたとは限らないし、もちろん静かな子どもや友人関係でつらい思いをした経験のある子どもがいることも含めて、みんなどこにでもいそうな子どもたちばかりです。
いかに自分が狭い視野と偏見を持っていたか、思い知らされた瞬間でした。
フリースペースだからと言って特別なことはなく、学校の教室と同じように色々な子どもたちがいる環境で、自分に何ができるのだろうか。
不登校の子どもたちを支援する仕事と考えていたが、そもそも支援とは何だろうか。
たくさん考えて、今も考え続けて働くなかで一つ思うことは、「不登校の子どもだから」「自分は支援者だから」と状況や立場にこだわるのではなく、一人の人間として子どもたちと関わりたいということです。
ベターな選択肢が存在するのは事実ですが、「支援しなければ」という思いにとらわれて決まりきった言葉掛けしかできないのであれば、それは子どもたちには響かないという実感も抱いています。
色々な子どもがいるのと同じように、色々な大人がいるということを知ってもらいたいですし、「私」がどう感じているか、そしてそれを「目の前のこの子ども」にどう伝えるか、これらを大切にしたいです。それが子どもたちの前向きな変化につながっていくと思っています。
この先子どもたちが「自分は不登校だったから」ということを引け目に感じることがないように、さらに、「自分は自分という人間なんだ」と感じられるように、今日も「私」として子どもたちと関わっていきたいです。
NPO法人アスイク スタッフ 松浦朱里