ミャンマー中部で今年3月に発生した大地震から間もなく4カ月、AAR のヤンゴン、パアン両事務所の日本人駐在員2人が、初めて被災地のマンダレー、ザガイン地域に入りました。町中では復興作業が進められていますが、今なお余震が続き、人々の生活再建には程遠い状況です。AARミャンマー駐在代表の山本慶史が現地から報告します。
道路中央まで大きくせり出したがれきの山=ミャンマー中部マンダレーで7 月16 日
ヤンゴンから北へ空路で約1時間半、マンダレー市内は、たくさんのバイクや三輪タクシーが往来し、商店や市場もにぎやかで、一見すると活気を取り戻したかのように見えます。しかし、道路の両側には崩壊した建物の解体で出たがれきの山が連なり、改築に使う土砂や建築資材が積まれたままです。車の窓を開けると、街全体で進む復旧工事のためか、埃っぽくて目が痛く感じました。学生が多い地区にある食堂では、売り上げが半分に落ちたままだといい、人々の商売への影響が今も続いています。
この地震では死者3,700人、負傷者5,000人超の人的被害がありました。その後の余震も計200回を超え、被災者は今も不安の中にいます。
亡くなった夫の思い出を話すドーシュエさん(左から2人目)=マンダレーで7 月16 日
「家族思いで、とても優しい夫でした。こんな形で別れが来るなんて」。マンダレー郊外の集落にあるコンクリート造り民家に住むドーシュエさん(仮名・50歳代)は、涙ながらに話しました。病弱だった夫は地震発生の混乱の最中、心臓発作で帰らぬ人となったといいます。
AARが緊急支援として5月に給付した現金は、食品の購入や子どもの教育費に使ったそうです。「夫が生前、家族に教えてくれたビンロウ売りを今は次女が継いで生計をつないでいます。自宅を修復する余裕はありませんが、亡き夫のためにも残された家族で頑張るしかありません」。
ビニールシートの下に仮設したベッド。ドーイさん(左)は毎晩ここで寝ている=マンダレーで7月15 日
2階建ての自宅に住んでいたマンダレー市内のドーイさん(仮名・60歳代女性)は、がれきの山と化した自宅を前にむせび泣きました。「親戚からおカネを借りて解体するのが精いっぱい。建て直す余裕はとてもありません」。庭の片隅にビニールシートで仮設の屋根を作り、木板を並べた台をベッド代わりに寝ているそうです。
震災前は仕立屋を営んでいましたが、地震でミシンが壊れ、収入は途絶えました。AARが届けた現金は、神経痛の医療費に使ったといい、「日本の皆さんに支援していただき、本当に感謝しています。収入も家も失ってしまい、先が見えません。どうか、引き続き私たちを助けてください」と手を合わせました。
マンダレー滞在中、震度5前後の余震を何度か経験しました。地震発生から4カ月近く経っても、被災者は余震におびえながら、壊れたままの自宅や近所の僧院、屋外の仮設テントなどで不安な夜を過ごしています。
被災地の人々の生活再建にはまだまだ多くの支援が必要です。AARのミャンマー地震被災者支援へのご協力をよろしくお願い申し上げます。