「毎回、私たちはゼロからのスタートを余儀なくされる」シリアの国内避難民、モハメドさん(27歳)

©IYD/CARE

 

モハメドさん(27歳)は、シリアで国内避難民となっています。彼はダマスカスの大学に入学し、機械エンジニアになることを夢見ていましたが、2018年に紛争が激化したのを受けて自宅を離れ、アレッポに避難しました。何度か居住地を変えたのち、最終的にアレッポ北部の町、ジンディレスに落ち着きました。

モハメドは、5歳と2歳の男の子の父親です。生活費を稼ぐために2つの仕事を掛け持ちしていて、2月6日午前4時17分に最初の地震が発生したときは、青果店での夜勤を終えたところでした。

一瞬のうちに大地が揺れ、建物が崩れ、人々の叫び声が聞こえました。そして、電気が消えたんです。私は家に向かって走りました。全てが破壊されていました。人々は四方八方に走り回り、叫び声をあげていました。それを見て、私は家族を失い、住人はみんな瓦礫の下で死んでしまったのだと思いました。

 

しかし、彼の家族と他の11の国内避難家族が住んでいた古い建物は、階段や一部の壁が崩壊したものの、地震になんとか耐えました。彼は妻や子供たちを救うことができ、その後、近所の捜索・救助活動に参加することができました。

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モハメドさんは、自分と隣人たち、合計12家族が身を寄せ合いながら、どこに行けばいいのかわからず、完全に無力感に襲われたと言います。

それでも、彼らは4つの教室からなる近くの小さな学校に到着しました。家族は2つのグループに分かれ、女性と子どもは2つの部屋を使い、男性は残りの2つの部屋で寝ました。その後、シリア北西部で活動する地元の人道支援団体からテントが渡されました。

各家族は、学校の庭に自分たちのテントを張りました。しかし、数日後、学校が再び開校することになったため、私たちは再び出発しなければなりませんでした。近所の人たちと私は、畑を見つけることができました。そこにテントを張りました。しかし、それも一時的なもので、所有者ははっきりと、数週間後には出て行かなければならないと言いました。私がダマスカスから来たから、親切にしてくれたんだと言っていました。

これまでテントで生活したことがなかったモハメドさんは、今はテントを張って落ち着ける畑を見つけ、最終的には、再び家を持つことを夢見ています。

自分の国で避難している私たちだけでなく、私たちと同じようにすべてを失ったジンディレスの人たち、みんなのためにこの夢を持っています。

今日、私たちには何もありません。冬の間に作った食料も、調理用の鍋も、冷蔵庫も、買っておいた洗濯機も、すべてが壊れ、破壊されています。毛布も数枚しかありませんでした。

毎回、私たちはゼロからのスタートを余儀なくされます。救えるものを救い、残されたわずかなものを手に、私たちは毎回、去らざるを得ないのです。

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2月6日の地震発生以来、CAREとそのパートナー団体は、シェルター、テント、ヒーター、キッチンセットの提供、瓦礫の撤去などの居住に関わる支援を163,000人以上に届けました

全てを失ってしまったモハメドさんのような被災者たちは、まだまだ多くの支援を必要としています。引き続きのご支援、ご協力をよろしくお願いいたします。