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北海道・東北

フリースクールと劇団の活動スペースを建設します

  • 寄付額

    886,522

  • 目標金額

    4,000,000

  • 寄付数

    1

  • 開始日時

    2011/08/11 00:00

    終了日時

    期限なし

このプロジェクトは目標金額の達成に関わらず、決済されます。
支援申込後のキャンセルはできません。

創設者の飴屋善敏先生は今から約50年前、東京都町田の青少年施設「ひなた村」で独創的な活動をくり広げ、当時全国から注目を集めました。
1980年には活躍を聞きつけた宮城教育大学に招かれ、高校時代を過ごした宮城へと赴任することになりました。すると、ひなた村から5人の中学生が親を説得して飴屋先生について来たのです。
飴屋先生と若いスタッフ、そして中学生たちは塩釜市野々島にプレハブを建て、大自然を舞台に遊び、学び、歌う日々がはじまりました。これは、まだフリースクールという名が知られてない頃の話です。

 

それから3年後、今度は松島湾に面した東名浜の岸辺に「創る村」の看板を掲げた施設を構えました。
そこで大勢の子どもたちと共同生活をしながら、学校に通う子も行かない子も一緒になって野外活動や音楽演奏、各地でのオペレッタ公演、1年に1回は練習の成果を披露する場として「生き生きコンサート」を開催するなどしてきました。

 

しかし、大学教授と創る村の二足のわらじは次第に難しくなり、活動の縮小を決断します。

その後は子どもたちの数は減りましたが、代わりに不登校やいじめに苦しむ中高生が助けを求めてやって来るようになり、劇団やラーメン屋(美味しいラーメンを広めることも飴屋先生の夢でした)での活動を通じて、少しずつ自信を取り戻していきました。

2003年にはNPO法人を取得し、教育・芸術・福祉の3本柱を掲げて、より社会に認められるような形で活動に取り組もうと再出発しました。

 

2011年3月、お年寄りを敬い大事にする社会を実現したいと、デイサービス・有料老人ホーム・フリースクールの複合施設『老莱子の家』を建設。直後に震災に遭うも、全国からのご支援のお陰で復興を果たし、新たに福祉の仕事も加えながら活動を続け、40年目を迎えました。
飴屋先生は後進に夢を託して、2020年3月に生涯を閉じました。

 

今、創る村の活動に携わるスタッフは9人です。日々介護の現場に立ちながら、教育・音楽活動に励んでいます。
しかしながら時代の変化と私たちの未熟さも相まって活動資金が不足し、苦しい状況を迎えています。

 

現在、様々な事情があって活動できるスペースは『老莱子の家』の一画だけとなっています。これからも子どもたちを受け入れ、音楽や遊びのある活動を続けていくためには広いスペースを必要としています。まだ準備段階ではありますが、新たに2棟を建設し、1棟は事務所と宿舎(現在建設中)、もう1棟を多目的ホールにと計画しています。
そこで、勝手ながら多目的ホールの建設資金として皆さんのご支援を賜りたくお願い申し上げます。
まだまだ未熟ですが、教育と芸術と福祉を通じて少しでも社会を良くしたいと考えております。

 

長くなりましたが、ご興味を持って下さった方は遠慮なくご連絡下されば嬉しいですし、創る村をひょこっと訪れて頂くのも大歓迎です。
どうぞよろしくお願いいたします。

 

※写真は震災からまだ1週間頃の私たち。後方に見える、新築したばかりの『老莱子の家』の2階で避難生活を送りました。このプロジェクトと直接の関係はありませんが、もう一度立ち上がろうという気持ちを込めて掲載させて頂きました。

団体情報
創る村

目的(定款第2条による)
 この法人は、あらゆる年齢層の人を対象にして、芸術に基づく教育、福祉、まちづくりに関する事業を行い、教育基本法前文に掲げた「世界の平和と人類の福祉に貢献する人間を育成する教育」の実現に寄与することを目的とする。

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