ザポリージャから逃れてきた家族「とにかく逃げないと」

©CARE/Stefan Brand

 

ウクライナと接するポーランド国境の町プシェミシルにあるレセプションセンターの外の空気には、ウクライナの餃子、いわゆるヴァレーニキの匂いが混じっています。国境の反対側にある家から届いてくる匂いです。

 

センターにたどり着いた人々は、この“屋外キッチン”で、少し元気を取り戻したり、他の人と情報を交換したり、太陽の暖かさを感じたりしています。私は翻訳者のアンジャとともに、父、母、そして息子で5歳のアレクサンダーと話し始めました。

 

私が自己紹介をすると、アレクサンダーは私に駆け寄り、私を抱きしめたい様子です。両親はまだ彼を抑えようとしていますが、手遅れで、彼はすでに私の足にしがみついています。私は少し驚いて、彼のことを少しだけ抱きしめました。最初の気まずさはなくなり、私たちは皆笑いました。たったこのような些細なことだけでも、困難な時には癒されます。5歳のアレクサンダーは自閉症であり、彼の抱擁は信頼のしるしです。私は光栄に思いました。

 

家族は、ウクライナで6番目に大きい都市であるザポリージャから来たと、話してくれました。市の原子力発電所のおかげで、メディアで意図せずに注目を集めた都市です。

 

「最初に戦闘になると聞いたとき、原子力発電所にも影響を与える可能性があるとの意見もあったため、すぐに出発しました。私たちはそれぞれバックパックをもって車に乗り込みました。とても急だったので、継母はその日に着ていた服だけをもってきました」と、母親は私に言いました。

 

「継母にとってさえ、それはすべてが非現実的な出来事でした。彼女は自分が大切にしていた植物と一緒にいたかったので、最初は行きたくないと言いました」と、彼女は付け加えました。「でも、結局、私たちは継母を納得させることができました」と、女は笑顔で教えてくれました。

 

家族は何とか戦闘地域から非常に迅速に避難することができましたが、国境に向かう途中で車の中で3日間待たなければなりませんでした。「とても多くの車でした。私たちは3日間もの間、交通渋滞に巻き込まれ、夜はずっと車の中で過ごす必要がありました」と、父親は言いました。

 

「それは特に息子にとっても、本当に大変なことでした。私たちが数百ヤード移動して、道路の脇に家を見つけるたびに、息子は、それがこれから滞在する家だと思って走っていったのです」

 

長い間待った後、なんとか国境を越えて、家族は、ポーランドのプシェミシルにあるレセプションセンターに到着したのです。プシェミシルでは、手厚い支援を受け、休息をし、何かを食べ、そして次にどこに行くべきかを考える時間があります。でも、父親も母親も、二人とも、ポーランドやその他のヨーロッパの国々に、誰も知り合いがいません。

 

そして今、彼らの選択は、オランダにあります。 「なぜそこなの?」と私は尋ねると、「わかりません」と母親は答えました。「どこに行くかは問題ではありません。とにかく、逃げることが重要です」と、言いました。

 

少し後に、家族がオランダ行きのツアーバスに乗り込んでいるのが見えました。彼らは手を振って、オランダの新しい居場所へと向かって高速道路にへと姿を消しました。