失われた暮らし 奪われた人生:ウクライナ危機1年

ロシアのウクライナ軍事侵攻が始まって間もなく1年。AAR Japan[難民を助ける会]は隣国モルドバに逃れたウクライナ難民を支援するために、モルドバの首都キシナウに昨年5月に開設した現地事務所を拠点に活動しています。モルドバで暮らす難民は、それぞれの事情によって生活環境が大きく異なります。現地を訪れたAAR東京事務局の八木純二が報告します。

「住民同士の対立なんてない」

AARは昨年10月以降、キシナウから車で約2時間の都市バルティを中心とする北部地域に滞在するウクライナ難民に、現地協力団体と提携して支援物資を配付しています。私が現地を訪れたのは日中でも気温が氷点下という寒い日でした。

バルディ近郊の小さな村にある一軒家で暮らすリュドミラさん、スヴェトラーナさんはこの日、冬を越すための暖房用燃料(ヒマワリの種を原料にした練炭)を受け取り、ほっとした表情を見せました。リュドミラさんはウクライナ南部へルソン、スヴェトラーナさんは首都キーウ近郊のブチャから別々に避難して来ました。リュドミラさんは夫と死別し、スヴェトラーナさんには家族がいないので、二人はここで助け合って暮らしています。地元自治体と地域住民は二人を温かく迎え、空いていた家屋を無償で提供してくれたといいます。


ウクライナ難民のスヴェトラーナさん(左から2人目) とリュドミラさん(同3人目)に暖房用燃料を届けるAARの八木純二=モルドバ北部バルティ郊外で2023年1月23日

二人は「燃料でストーブを焚いて料理もできるし、とても助かるわ。スパシーバ・ボリショイ!(本当にありがとう)」とロシア語で言いました。「私たちはロシア語もウクライナ語も話します。ウクライナではごく普通のことで、ロシア系住民との間で何の確執もありませんでしたよ。対立しているなんていうのは、ロシア側のプロパガンダに過ぎません」

戦争は私たちから仕事を奪った


ドミトリー・ユプレシュさん・アントニナさん夫婦と2人の娘たち=バルティ市内

ウクライナ南部オデーサから逃れて来たドミトリー・ユプレシュさん・アントニナさん夫婦は、娘のイヴァンナさん、ヴァレリアさんとバルティ市内の公営団地で生活しています。モルドバ出身のドミトリーさんは約20年間ウクライナで暮らし、夫婦で縫製業を営んでいました。「資金を準備してようやく開業したばかりでした。ところが、戦争が始まって店も家も失い、大切なミシンなどの設備はすべて盗まれてしまいました」。

「戦争が終わってもウクライナに帰ることはないでしょう。このままモルドバで事業を再開したいのですが、何もかも失った私たちには担保になる財産がなく、銀行からの借り入れもできません」とドミトリーさんは嘆きます。AARは現地協力団体を通じて暖房器具や寝具を提供したほか、視力に問題があるヴァレリナさんの治療をサポートしています。

地雷で片脚を失って


難民滞在施設で暮らすイゴール・チュマークさん=バルティ市内

モルドバ政府や地元自治体が用意した難民滞在施設で暮らす人々も少なくありません。社会的・経済的に自活が難しい層が多く、一日3度の食事も提供されます。バルティ市内の古いホテルを借り上げた滞在施設で会ったイゴール・チェマークさんは4年前、ウクライナ東部の激戦地ドネツク州で、車の運転中に地雷に接触して左脚を失いました。ウクライナではロシアとの戦いは昨年2月に突然始まった訳ではなく、2014年のクリミア併合・東部紛争から続いているのです。

イゴールさんは「ウクライナ政府からようやく義肢を提供されましたが、使い方のトレーニングを受ける前に今回の事態が起きてしまいました。せっかくの義肢は使えず、松葉杖と車いすを使用しています。持病もあって体調が悪く、病院で検査を受けています」と薄暗い部屋で力なく語りました。AARは現地協力団体を通じて、こうした医療サービスの費用の一部を提供しています。また、この1年で増え続ける地雷の除去活動を英国の専門団体を通じて実施しています。

「春にはウクライナに戻ります」

バルティの西隣でルーマニア国境寄りの町ファレシュティにも多くの難民がいます。ナターリャ・ジュド・ノヴイッツさんは、攻防が続くウクライナ南部のザポリージャ原子力発電所からわずか7キロの場所に住んでいたため、娘が住んでいたファレシュティに逃れました。モルドバはウクライナ南部と地理的に近く、ロシア語が通じることから比較的安心して過ごせるようです。

厳冬下の今は暖房が必要ですが、ナターリャさんは「家畜やペットを家に残しているので、春が来たらウクライナに戻ります。恐ろしい経験をしましたが、それでもウクライナに帰るつもりです」。そして、こう付け加えました。「きっと神様が護ってくださるはずです。毎日お祈りしていますから」


ファレシュティ市内でAARの現地協力団体スタッフ(右)から生活雑貨と毛布を受け取るナターリャ・ジュド・ノヴイッツさん

ロシアの軍事侵攻は、私たちと同じように普通に暮らしていた人々の生活を壊しました。そして、命からがら逃れて来たモルドバでも、それぞれの生活、人生、未来は大きく歪められたままです。AARはモルドバの市民社会とともに、ウクライナ難民が少しでも安心できる暮らしを取りし、自分たちの未来を切り拓けるようにサポートに取り組んでいます。

危機発生から1年の節目にあたって、AAR Japanのウクライナ人道支援へのご協力を重ねてお願い申し上げます。
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