「支援」と「感謝」の気持ちがつないだ80年 今も、そしてこれからも希望と共に

CARE1945年にアメリカで設立され、今年80周年を迎えました。

長い年月を経て2024年度、CAREとそのパートナーによる活動は121か国へと拡がり、1,450以上の貧困と闘うための開発支援や人道支援プロジェクトを通じて、5,300万人の人々に支援を届けることができました。こうして活動を続けてこられたのは、私たちを信じ、支えてくださる支援者の皆さまの存在があったからです。

 

私たちはこれからも、どんな困難な状況でも、途上国の女性や女子など弱い立場におかれた人々に寄り添い、力を合わせて解決策を見つけていきます。また、戦争や自然災害など人道危機に直面する人々の緊急から復興までの過程を、ともに歩み続けます。

 

1945年

かつて日本は「支援を受ける国」でした

 

 はじまりは「CAREパッケージ」

第二次世界大戦後の欧州に緊急支援物資を送るために米国の22の市民団体が協力したことが始まりの「CARE」。1948年から日本へも支援物資の「CAREパッケージ(ケア物資)」が届けられ、8年間に渡り1,000万人以上の人々が支援を受けたといわれています。

 

 

 

 

1949年(昭和24年)からは、日本全国の小学校を対象に食糧支援の一環として、学校給食用に脱脂粉乳の供給活動を展開しました。これは、当時の発育盛りの子どもたちに、脱脂粉乳を唯一の栄養源として安定的に摂取させていくために導入した、CAREの学童向け食糧支援プログラムでした。

 

1987年

今度は“支える側”となり、国際社会への「恩返し」を

 

日本が経済成長を遂げた1987年、今度は日本こそが、世界で苦しむ人々の助けになろうと「恩返し」の想いで、当財団の前身である国際援助団体ケア・ジャパンが発足。後に、20102月に公益財団法人ケア・インターナショナル ジャパンとなりました。

 

2025年

ウクライナ:支援を受けて、今はCARE職員として活動

 

国内避難民としての苦境を乗り越え、今は、支える立場へ。

 

CAREウクライナの水と衛生アドバイザーであるアルテム・クリチェンコは、戦争で被害を受けたウクライナの人々の生活再建を支えています。彼はもともとエンジニアでしたが、占領下のマリウポリで封鎖を経験し、避難生活を送った一人です。砲撃の中、窓が割れ、浴槽の水も凍るほどの寒さの中で家族と過ごし、一切の通信も途絶え、何が起きているのか分からない状況に置かれました。それでも地域の人々は助け合い、「人間らしさ」の大切さを再認識したと言います。脱出の決断は命を守る選択となり、彼のアパートはその一週間後に攻撃で破壊されました。

 

 

 

現在アルテムは、他の被災者が安全な暮らしを取り戻せるよう尽力しています。自らも避難生活を経験した彼は、他の国内避難民のニーズを深く理解しています。

 

「復興とは元に戻すことではなく、より良い未来を築くこと」

 

アルテムは、自らの経験を力に変え、希望あるウクライナの再生に向けて、今も支援を続けています。

 

皆さまの支援と思いやりは、感謝となって世界をめぐり、また新たな希望へと続きます。

 

80周年の節目に際し、温かいご支援をどうぞよろしくお願いいたします。

ご寄付は、CAREの活動全体へのご支援として大切に使用させていただきます。