市川国際奨学財団研修受け入れ(7/4)

7月4日(土)、市川国際奨学財団(https://iisf.jp/)の留学生12名と引率者1名を対象に、日本社会・文化・社会課題を学ぶ研修として、西淀川の公害、地域再生、資料館見学に関する研修を受け入れました。

 

午後1時30分にJR東西線御幣島駅改札前に集合し、研修の趣旨を説明しました。

今回の参加者12名は、中国、韓国、スリランカにルーツを持つ留学生で、学部生から博士後期課程の大学院生、さらにOG1名まで、多様な背景をもつグループでした。

 

JR御幣島駅前で研修の趣旨を説明

 

フィールドワークで西淀川を知る

 

今回はあいにくの雨でしたが、水害に弱い西淀川の特徴を考えるうえでは、現地の状況を実感できる機会にもなりました。

参加者の皆さんが傘をさしながら、熱心に西淀川の公害対策や地域の特徴について耳を傾けてくれました。

 

歌島橋交差点に設置されている大気常時観測局

 

続いて緑陰道路へ。

 

西淀川地域では、かつて工業活動に伴う地下水の過剰なくみ上げによって地盤沈下が発生しました。

海抜の低い西淀川では浸水の危険があります。

その対策の一つとして、緑陰道路の地下には淀の大放水路が整備されています。

 

緑陰道路の地下には淀の大放水路が整備されている

 

また、西淀川地域は大阪湾に面しているため、津波による被害を受ける危険性もあります。そのため、「津波発生時にはできるだけ3階以上、または津波避難所へ避難するように」と日頃から啓発や教育が行われています。

 

小学校に設置されている津波避難所の表示

 

西淀川公害について

 

あおぞら財団に到着し、休憩を挟んだ後、西淀川公害と環境資料館を見学しました。

その後、あおぞら財団事務局長・藤江から、西淀川公害の発生、公害患者による訴訟の提起、和解後の地域再生の取り組みなどについて講義しました。

 

紙資料だけでなく、運動や裁判に関する資料・実物も保存されている

 

「煙=工業の繁栄=地域の誇り」という当時の価値観を反映した歌

 

公害当時の映像を視聴

 

公害患者の語り

 

講義だけでは、どうしても教科書的な知識にとどまりがちです。

そこで、若い留学生のみなさんに日本の公害をより深く知ってもらうため、西淀川公害患者と家族の会の会長・山下明氏に、公害患者として、自らの体験を語っていただきました。

 

山下氏は、九州から就職列車で大阪へ渡り、工業地帯で働きながら生活を築く一方、公害病を患いました。

その経験を、ご自身の言葉で率直に語ってくださいました。

 

公害患者の生の声を聞く機会は非常に貴重であり、参加者からは多くの質問が寄せられ、活発な質疑応答が行われました。

 

Q.「最初に公害訴訟を提起することを怖がった患者さんもいたそうですが、山下さんが原告として訴訟に参加した理由は何ですか?」

A.「自分が苦しかったから。そして、子どもには同じ思いをさせたくなかったからです。」

 

Q.「(企業を相手に訴訟を起こすことで)山下さんは解雇される心配はありませんでしたか?」

A.「私はオペレーターだったから、会社から辞めてと言われることはありませんでした。」

 

Q.「引っ越そうと思ったことはありませんでしたか?」

A.「どこへ行っても同じだと思っていました。」

 

Q.「当時、マスクを着けるなど、公害を防ぐ対策を考えたことはありましたか?」

A.「何もしませんでした。むしろ、空気を吸うだけでぜん息になるとは思ってもいませんでした。」

 

公害体験を語ってくれる山下氏

 

 

 

日本の公害研究の第一人者である宮本憲一先生は、「公害被害は生物的弱者、また社会的弱者に集中する」と述べています。

西淀川で働いていた人々の多くは、生活のために地方から移り住んできた人々でした。

西淀川が公害地域であると知っていても、仕事や生活の事情から簡単に引っ越すことはできなかったのです。つまり、公害問題の根底には、社会構造の問題があります。

 

今回参加された市川国際奨学財団の奨学生は、日本社会・文化・社会課題について学ぶために集まった、さまざまな大学で学ぶ優秀な留学生です。

将来、それぞれが社会で重要な役割を担う立場になることでしょう。

 

その時、公害訴訟で患者を支えた弁護士、医師、教師、そして何よりも困難な状況の中で声を上げ続けた患者自身の姿を思い出してもらえたらと思います。

そして、社会課題を解決しようと思う時に、今回の研修で見聞きしたことが少しでも心に残っていれば、これほど嬉しいことはありません。

 

 

参加者全員で記念撮影

 

(あおぞら財団アルバイト 王子常)